こんにちは、はみるのです。
11月ですね。
9月10月の時の流れが早すぎてついていけず、
ぽかーん…
となってしまいました。
でも、凹んでもいられないので今年残り2ヶ月、大切に過ごしたいと思っています。
さて、今日は小学2年生の長女の話。
もともと娘は繊細で不安症傾向なんですが、
コロナでの長期休み(家でリラックス)
↓
学校再開、授業多め(神経過敏MAX)
↓
微熱で登校自粛(1週間以上)
↓
みんなから遅れをとって
神経過敏
と、他にもきっといろんな要因が複雑にからまって、
今ほとんど不登校の状態になっています。
私も親としてすんなり受け入れられなくて、親子でたくさんぶつかったり泣いたりして過ごしてきました。
1日行ってはまた何日も休み、という状態を繰り返して。。
親子ともにかなり疲弊した感じになってしまってました。
そんななか、先月の運動会の日。
私の中でちょっとした変化があったので、ここに書き留めておきたいなと思います。
長女の口から初めて聞いた本当の気持ち
結果からいうと、運動会には行けませんでした。
朝ごはんを食べて、準備しないといけない時間になってもずっとパジャマのままで、こたつに入ったままで。
いつもなら、遅れて授業の合間の休憩時間に行くかも?と様子を見る選択肢もあるのですが、
さすがに運動会は、先生も子供たちもきっと段取りなど忙しいし、決めるなら朝決めてしまわないといけない。
休みながらもずっと踊りも練習してきたし、という思いが私にはあって。
「行かなくて後悔しない?」と聞いてみるも、
真っ赤な目で涙をポロポロ流して、何か言おうとしては口をつぐんでしまうの繰り返し。
私のささいな表情の変化をうかがっては、ビクついてる。
『あぁ、私が言いにくくさせてるんだな…」とショックを受けつつ、なるべく冷静にやさしくと努めて、娘に根気よく聞きました。
すると、もう運動会に参加するなら全然間に合わないくらいの時間になって、やっと蚊の鳴くような声をしぼりだし、
「…本当は行きたくない。。
行きたくなかったけど、お父さんお母さんは見るの楽しみにしてるってわかるから…
お父さんお母さんに(運動会)何も見られなかったっていう嫌な思い出を作ってしまうって思って言えなかった…!」
と言ったんです。
そこでやっと、
「お母さんお父さん関係なく、○○ちゃんが今日は行きたくないんなら、運動会行かんくていいねんで」
という言葉が私の口から出ました。
すると、抱っこする腕の中で娘はわんわん泣きました。こんなに悲痛な姿は見たことないというくらい。
夫に学校へ休みの電話を入れてもらうように頼んで、私も一緒にいっぱい泣きました。
娘の気持ちをないがしろにしてしまってた
私の中で、どんなに普段学校行けたり行けなかったりでも、運動会みたいな大きな行事ごとは行くだろうなと思ってたんですよね。
【体調は問題ないのに休む】という選択肢は、今までの私にはなかったんです。
でも、心の奥の奥に押し込めてた声を娘がしぼり出したのを聞いて、
こんなにも私が娘に気をつかわせてしまってたんだな…と思いました。認めざるを得なかった。
結局わたしも現実を認めたくなくて、見て見ぬ振りしてたんですよね…。
でも実際は、学校にちょこちょこ行けたとか、○時間目からでも行けた、という事実は関係なかったというか。
風邪ひいてしんどいと言ってるのに、無理やりズルズル行かせるからなかなか治らないのに、
そこはおかまいなしで「今日は行けたね!」と言ってるくらい滑稽なことをやっていた私。
娘は、親のために心配してくれる周りのためにって、自分では説明できないようなしんどさを抱えたままで、行った方がいいんだと振り絞ってたんですね。
だから、本音を言えない分「仕方なく行けない理由」が必要になるから、本当に体に不調ををきたすようになって、実際に微熱も出るしお腹も痛くなったりするんだろうなと。
「行けない」じゃなくて「行きたくない」という言葉。
これを自分の口で言えたということは、きっと娘にとって大きな一歩なんだと思いました。
学校に行きさえすればいいわけじゃない
この運動会の日は私にとって忘れられない日になりました。
夫も希望休をとっていたし、次女も送迎の時間がうまくいかないのであらかじめ幼稚園をお休みさせてました。
そんな家族全員集合してる日に、「行きたくない」と言った娘の心の状態は相当なもんだったんだろうなと。ただでさえ常識人で、気を回す子なのに。
私はどうしても「行く=解決」「家にいる=問題」と思ってしまい、「行くか行かないか」ばかりを考えてしまってたんですね。
でも、娘の心から目をそらし続けたままじゃ、いい方へ向かうはずがありません。
たとえなんとか学校へ行けたとしても、娘は今度こそ親へも本音を出せず、心がしくしく痛み続けたままかもしれない。
運動会をお休みした日の夜は、「こんな特別な日なのに、私の思いを受け入れてくれた」と少しは思ってくれたのか、娘はとてもリラックスしている様子でした^^
今回の不登校含め、子育てで私がかなりガツーンと心をつかまれた本、「子どもを信じること [ 田中 茂樹 ]」を改めて読みなおすと、
このような言葉がありました。
信じていれば「悪いことはしないだろう」とか「親が悲しむことはしないだろう」という意味ではないのです。
たとえ子どもが、どんなに親の望まないことをしたとしても、私は自分の子どもたちを「愛するに値する存在だ」と信じ続けるということです。
つまり、ちゃんと学校へ行けるということを信じるんじゃない、この子はいつだって愛情をかけるに値する子なんだと信じる。
娘が生まれてきてくれた奇跡を改めて思いおこすと、涙が出ました。
いい加減、親として向き合う覚悟を決めたい
今までのようにただ行ってさえくれればと思うのではなくて、覚悟を決めて休ませないとなと思います。
甘やかしとの線引きが本当に難しいですが、娘はたぶん、いやほぼHSC。人一倍敏感な子。
一般的に良しとされる子育てのアプローチが合わないこともあるだろうから、もっと私たち親子にとってのいい関わり合いを探っていきたい。
私が尊敬する実家の母は
「人生これから長いんだから今勉強が遅れたとしても知れてるし、いくらでも取り返せるよ^^
とことん付き合ってあげー。
それに○○ちゃんなら大丈夫。何も心配してないわ。(学校へ行く行かないじゃなく、人生という意味で)
」
と言ってくれた。
なんなら母親の私を、しんどいやろうけど無理しすぎずにねと心配してくれて。
本当に母にはかなわん〜!(泣)
アラフォーになってもこんなに心を支えてくれる存在。
長女にとってそんな存在になれるかどうかは、今この時にかかってるんだと思う。
ここで目をそらしたら、娘から親としての信用を失ってしまう。
「行くんならもう準備しなあかんよ」
「○時間目からは?行く?」
とか聞かずに、無理そうだったら私の方でこっそり学校に休みの電話を入れたらいいんだよな。。
あと、子どもの前でがっかりした顔をしない。
もちろん完璧にとはいかないだろうけど。
毎日毎日夜には「明日こそは行きたい」と思ってる娘こそが、毎朝がっかりしてるんだから。
…と、こんな感じで試行錯誤の毎日ですが、
こうして文字にすることで気持ちは少しでも整理されるような気がするので、これからも時々書いていくかもしれないです。
で、この記事を書き終わりそうな今。てか、今日!
久しぶりに長女が学校へ行きました…!
一緒に登校したんですけど、緊張でワナワナしながらも頑張って。
お友達も先生も本当にあたたかくて、いつもありがたく思います( ; ; )
明日はまた休むかもしれないけど、とにかく今日帰ってきたら思いきり甘やかそうと思います^^
それではまた!
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HSC(とりわけ繊細な子供)への対応の仕方や、先生方へ娘の気質を説明するのにとても役にたちました。「そう!そうなの!」とうなずくことばかりで、繊細なのは娘だけじゃないんだということにとても救われます。
娘が不登校になってから「娘が学校へ行ってくれさえすれば解決するのに…」と悲劇のヒロインでしかなかった私の、考え方を変えるきっかけをくれた本。
子供は大人が想像するよりももっとギリギリのところまで追い詰められていて、一生懸命SOSを出してるものなんだということが、たくさんの事例で腑に落ちます。
子供の自信を高めてあげるって、本当はすごくシンプルなこと。
いつだって親に愛をもって見つめていてもらえたら、子供は安心して成長していけるんでしょうね。
頭ではわかっていてもすっごく難しい!でも、やればやるだけ目に見えて子供がイキイキしてくるのがわかる声がけ。細々とでもいいから、できるだけ続けていきたい。